六月十日午後六時半頃、もうすぐ出来上がるばかりの楽譜を脇にやって、彼は長女のエチエネットを呼び、 一緒にいつもの道を回ってから、パリから着く夫人と子供たちを迎えに、近くの駅に行くことにした。 より敏捷だった若い乗り手の方が先に立ち、しばらく行って振り向くと、父親の姿が見えなかった。 そこで引き返すと、恐ろしい光景が彼女を待ち受けていた。 正門の柱の根元にこの音楽家がこめかみを砕かれて倒れていたのである。彼は即死していた。この痛ましい事故のため、弦楽四重奏曲の総譜は未完成のまま遺されることになりました。 遺族の願いにより長年の友人であったダンディが、 「ショーソン自身が書いているように、亡き友の意図であると思われたものにできるだけ忠実に」 第3楽章を完成させました。発見されたフィナーレは、下書きの段階を出るものではなく、 ダンディは第3楽章を持ってこの弦楽四重奏曲を終えています。
この馬鹿げた事故は、過労に、その午後の暑さが加わったことに因るものであったのだろうか。 ショーソンが自転車に乗ることが上手でなかったために起こったのであろうか。この道路に彼は慣れていたし、 それは皆の言い分とは反対に、比較的穏やかな傾斜で下っていた。何が起こったのであろう。それは誰にも分からず、 この作曲家は、彼の秘密を墓場の中に持ち去っていった。「ショーソン」(ジャン・ガロワ著 西村六郎訳 音楽之友社 1974)より