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第18回<東京の夏>音楽祭2002
ブルネロ & アファナシエフ デュオ・リサイタル(東京・紀尾井ホール)
曲目
| ルクー | チェロ・ソナタ | |
| シューベルト | アルペッジョーネ・ソナタ イ短調 D821 | |
| ブラームス | ひばりの歌 | op70-2 |
| 失望 | op72-4 | |
| 歌の調べのように | op105-1 | |
| 湖上にて | op106-2 | |
いまだ国内ではそれほど有名ではないフランス近代の作曲家、 ルクーのチェロソナタを実演で聴く機会が来るとは夢にも思っていなかったので、3ヶ月前の発売当日にチケットを押さえ、 当日は仕事を休んで演奏会を聴くために上京しました(実は前日は体調が悪く、果たして上京できるのかどうか怪しかったのですが)。
ルクーのチェロ・ソナタ、果たして過去に国内で演奏されたことはあるのでしょうか?もしかすると国内初演かもしれません。
お目当てだったルクーのソナタ、18歳のときに作曲された、演奏時間50分にも及ぶ大曲で、
実際に聴いてみて感じたことは、というと・・・。
一言で言えば、この曲の荒削りな側面を強調する、という目的が感じられる演奏でした。
今までに私が聴いた事のある数種類の演奏(すべてCDで)のどれよりも、基本のテンポの設定を遅めにし、遅いところは非常に遅く、
速いところはやや速め、というくらいテンポで演奏し、テンポの基準をややゆったり気味にした上でテンポをデフォルメしていました。
特に、遅いテンポのところでは、アファナシエフの弾くピアノの一音一音が聴こえたような気すらしました。
演奏そのもので気になった点は2つ。
1つは、最初の1〜2分程の間、ピアノが鳴りすぎている様に感じられた、ということ。
演奏技法のことは私は全く分からないのですが、ほぼ満席に近い会場で演奏してみて、音が響きすぎている、
とアファナシエフが意識したのかどうかは勿論私に分かるはずもないのですが、ピアノの音が鳴りすぎていると感じたのは、本当に最初の1〜2分だけでした。
もう1つは、ピアノとチェロが明らかに「ズレてるんとちがう?」という箇所が何ヶ所かあったことと、音量バランスが今までに聴いた数種のCDによる演奏であれば、
ピアノが前に出てチェロが控えめにする(あるいはその逆)ような部分でもほぼ同じような音量で競い合うような感じで演奏していた部分があったこと。
つまり、解釈が私が今までにCDで聴いた数種の演奏とはかなり異なっていたわけですが、
私には「もしかすると意図的に入りをずらしたり、音量バランスを変えることによって、曲の荒削りな面を強調しようとしたのかな?」、と感じられました
(ただし、第1楽章のコーダはテンポをあまりにも落とし過ぎたためにピアノとチェロが同時に入るべきところで入るタイミングがずれてしまった、としか思えませんでしたが)。
と、聴いていて気になる点は少しはあったものの、緊張感の高い、密度の濃い、充実した演奏だったと思います。
最後にもう1つ。
第4楽章は、ピアノが和音を一つ弾くと同時にチェロがピツィカートしたあと、休符をはさんで第1楽章の主題を用いたコーダに入る演奏が多く、
中にはコーダを省略した演奏もあり、当日の演奏がどちらになるのか、というのも関心の一つでした。
当日は、結果としてはコーダを省略した演奏だったのですが、非常に遅いテンポでの演奏だったこと、
アファナシエフが鍵盤に手をおいたまましばらく動かなかったので、果たして引き続きコーダを演奏するのか、それとも演奏しないのか、
判断がつかない時間が10秒ほど続いた、ということも印象に残っています。
いまだ体調が万全ではなかったので、休憩をはさんで演奏された、
アルペジョーネ・ソナタや、ブラームスの歌曲(歌パートをチェロで演奏)は、あまり集中せずに聞き流し気味でした。
アルペジョーネ・ソナタは、やや遅めのテンポで旋律をゆったりと歌わせる演奏で聴き手の緊張を少し解きほぐすような感じがあり、
前半のルクーでの非常に緊張感溢れた演奏とは対照的でした。
続くブラームスの歌曲も、聴き手の緊張を和らげてチェロが美しく奏でる旋律と穏やかなピアノの音色で、
あたかも食後のデザートを楽しむような気分で4曲をゆったりと聴きました。
アンコールは、アーンの歌曲(何と言う曲集の、何番目の曲だったか・・・。メモを取らなかった)を、
これまた歌パートをチェロで演奏したものでしたが、聴いていて心地よく、そしてどこか懐かしい感じのする演奏でした。
今回の演奏は、ルクーについて言えば気になる点もあったものの想像を超えた素晴らしい演奏で、シューベルトとブラームス、 そしてアンコールのアーンも耳に優しく、関西から出てきて聴いた価値は十二分にありました。
第6回<京都の秋>音楽祭
アンドレ・カザレ・ホルン・リサイタル(京都コンサートホール・アンサンブルホール ムラタ)
曲目
| ケックラン | ヴァイオリン・ホルン・ピアノのための小品 |
| プーランク | エレジー(ホルンとピアノのための) |
| エネスコ | 幼き頃の印象 作品28(ヴァイオリンとピアノのための) |
| ブラームス | ヴァイオリン、ホルンとピアノのための三重奏曲 作品40 |
アンドレ・カザレ(ホルン) 梅原ひまり(ヴァイオリン) 大谷正和(ピアノ)
ホルンを含んだ室内楽としてはポピュラーなプーランクのエレジーとブラームスのホルン・トリオと、 一方、名前すらまだ日本ではあまり知られていないケックラン (私は普段ケクランと読んでいるので、以下、ケクラン)の作品と、生前は名ヴァイオリニストとして、 また作曲家としても多数の作品を残したエネスコのあまり知られていない作品を取り上げた、 非常に興味深いプログラムだったので、3ヶ月ぶりに演奏会を聴きに出かけました。
まずは演奏そのものの感想を。
今回演奏されたケクランの作品は、そもそも作品の存在そのもの自体を知らなかったため興味深く聴きました。
ケクラン独特の美しい旋律と柔らかい響きが耳に心地好く、非常に印象的でした。
続くプーランクのエレジー、カザレ氏自身も録音を残しており、プログラムノートによると海外の音楽雑誌で絶賛されているとの事もあって、
さすがにホルンは巧く、かつピアノとの息もあっており、素晴らしい演奏でした。
前半の最後はエネスコの作品。プログラムノートによるとエネスコの後期の作品とのことで、
エネスコの作品自体をあまり知らない私には初めて聴く作品でした。生前は名ヴァイオリニストとして高名だったエネスコの、
しかもヴァイオリンの作品だけあり、楽器の特性を知り尽くし、スルポンティチェロやハーモニクスなど様々な演奏技法を駆使した10曲の小品からなる曲で、
これも梅原氏のヴァイオリンの演奏技法が優れていることもあり、なかなかの好演で興味深く聴きました。
休憩をはさんで後半はブラームスのホルン・トリオ。こちらもホルンは時に柔らかく時にシャープに、ヴァイオリンも同じく決めるべきところをしっかり決めており、
ピアノも安定したテクニックで、聴いていて心地好いものでした。
満場の拍手に応えてのアンコールは、ブラームスのホルントリオの第2楽章。
前半でトリオ、ホルン曲、ヴァイオリン曲と続き、最後にトリオで締めくくると言うプログラムの曲順配置はとてもバランスを配慮していると感じましたし、
演奏もとても素晴らしい物で、お酒に例えるとすれば、キリッとして、かつフルーティーな白ワインを美味しく頂いた、そういう印象をもった素晴らしい演奏会でした。
しかしプログラムノートの出来について苦言を。問題があると感じたのは以下の3点。
(1)ケクランの小品は4曲からなるのですが、2曲目はフランス語で"Tres modere"という指定がなされており、中庸な速さで、といったくらいの意味になるのですが、
読み方は本来であれば「トレ・モデレ」のはずなのに、プログラムでは「トレス・モデレ」と記載されており、
本来フランス語では最後の子音を発音しない、という基礎知識もないのがバレバレ。
(2)プロフィールでカザレ氏の紹介をしている箇所で、「パリ音楽院の教授として更新の指導にも当たる。」、
という一文があるのですが、「更新」じゃなく「後進」でしょうに。原稿はおそらくワープロソフトを使って作られているのでしょうが、誤変換の最終チェックが甘い。
(3)ブラームスのホルン・トリオの作品解説で、
「なお、ブラームスはその創作に民謡調の旋律を用いているが、この作品においてもフォークソング
"In der Wei-den steht ein haus"を引用している」
という一文があるのですが、ここは「フォークソング」ではなく「民謡」と書くべきではないでしょうか。
プログラムノートの作成者の名前が書いていないので何とも言えませんが、「このプログラムノート、素人が書いたのか?」と思わざるを得ませんでした。
演奏が素晴らしかっただけに、プログラムノートの不出来、校正の甘さが気になるところです。
こういう事を言うのは言い過ぎかもしれませんが、今回演奏された4曲の少なくともいずれかの1曲に興味を示した方に対して、やや誤りのある知識を与えてしまうのではないか、
と気になってしまいます。
楽曲解説について言えば、ケクランの曲は楽想指定を原語で書いてあるにも関わらず、エネスコの曲は10曲の小品のそれぞれの題名を原語ではなく、日本語で書いている、
そういうところにも統一感のなさを感じましたし、上で述べた3点の問題点もあわせて考えると、10曲の小品の日本語訳が正しい物なのかどうなのか、
信頼しきれないな、とも思いました。