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2 May 2003
4 May 2003
1 June 2003
レクチャーコンサートシリーズ ピアノはいつピアノになったか? 第1回ピアノの誕生(大阪・ザ・フェニックスホール)
曲目
1.ピアノ以前:ピアノの二つの源泉、チェンバロとクラヴィコード |
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| C.ペツォルト(1677-1733) | メヌエット ト短調 |
| M.クレメンティ(1752-1832) | ソナタ へ短調 作品36−4 第一楽章 |
2.イタリア、スペインにおける「ピアノの誕生」:クリストーフォリとスカルラッティ、ジュスティーニ |
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| D.スカルラッティ(1685-1757) | ソナタ ロ短調、ヘ長調 |
| L.ジュスティーニ(1685-1743) | ソナタ 第10番 へ短調 |
3.ドイツにおける「ピアノの誕生」:ジルバーマンとバッハ、フィッシャー |
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| J.S.バッハ(1685-1750) | フランス組曲第4番よりアルマンド |
| J.S.バッハ(1685-1750) | 「音楽の捧げもの」より3声のリチェルカーレ |
| J.C.F.フィッシャー(1656-1746) | 第9組曲「ウラニア」より抜粋 |
ピアノの歴史、変遷を紹介していくレクチャーコンサートシリーズの第1回の演奏会です。
まずは、楽器に関する説明から始めたいと思います。
ピアノは1700年ごろ、イタリアはフィレンツェ在住のバルトロメオ・クリストーフォリ(1655-1731)によって発明されました。
クリストーフォリはメディチ家に使えていた楽器職人であり、
当時の鍵盤楽器であったチェンバロとクラヴィコードを「改良」しようとする試みの中から「ピアノ」という楽器を発明しました。
チェンバロはご存知の方も多いと思いますが、鍵盤の先に取り付けられた爪で弦をはじく事によって発音し、音量が大きいけれども音量変化をつけられません。
一方のクラヴィコードは、なかなか録音の入手も困難であり、実際にその音色を聴いたことのある人も少ないと思われます。
クラヴィコードは鍵盤の先に取り付けられたタンジェントといわれる金属製の爪で弦を押して音を発する仕組みで、
音量の強弱や弦楽器のようなビブラートさえつけることもできますが、音量が小さすぎ、1700年当時でも公の演奏の場に用いられる事はほとんどなく、
専ら個人用、練習用に用いられていたそうです。
クリストーフォリはクラヴィコードのように音量の強弱変化をつけることが出来、チェンバロのように音量の大きな楽器を作ろうと試行錯誤して、
ピアノ(正確にはピアノフォルテ)を1700年ごろ「発明」しました。ピアノの基本的な発音の仕組みは現在のものと基本的には同じです。つまり、鍵盤を叩くとその勢いでハンマーが弦を叩くと同時にダンパーが弦から離れます。ハンマーは弦を叩くと元の位置に戻りますが、ダンパーは指が鍵盤を抑えている間は弦から離れたままであり、指を鍵盤から離すとダンパーが元の位置に戻って弦の振動を止めて音を止める、という巧妙な仕組みであり、後年改良は加えられるものの、その基本的なメカニズム(アクションといいます)は300年間変わっていない、とのことです。
次に演奏ですが、クラヴィコードの音量は小さいながらも、会場が静かであった事と、ホールの響きが良い事もあって、客席の最後列にいた私の耳でもその繊細な音色、演奏はしっかりと聴きとることが出来ました。
クリストーフォリ・ピアノは、チェンバロのような音色でしたが強弱変化がつけられることがチェンバロと違う、という事は素人の私でもすぐにわかりました。特にジュスティーニの曲には、「ピアノとフォルテの出せる、いわゆる小槌付チェンバロのためのソナタ集」というタイトルがついているように、クリストーフォリ・ピアノ(ないしはクリストーフォリの弟子によって作成されたピアノ?)で演奏する事を念頭に置いて作曲された、という事がわかります。
休憩をはさんで後半は、ドイツのジルバーマンという人物がクリストーフォリ・ピアノに関する文献を研究して自身でピアノを作成した経緯が紹介され、ドイツ・バロック期の時代に作曲された作品をクリストーフォリ・ピアノで演奏されました。特にバッハの作品は、現代のピアノ、チェンバロで演奏するのと趣が異なり、非常に興味深い演奏会でした。
余談ながら、私はこの日、筒井氏のクリストーフォリ・ピアノの演奏のCD(正規の販売ルートで出回っていないので筒井氏本人がCD-Rに焼いているのですが・・・)の販売員を務めさせて頂き、用意された20枚のCD-Rは完売いたしました。CDをご希望の方は筒井氏までご連絡を(笑)
曲目
| ベルリオーズ=リスト | イタリアのハロルド 第1楽章 |
| プーランク | オーボエ・ソナタ |
| ラヴェル | ピアノ三重奏曲 |
| ベルリオーズ | 3つの歌曲(さらば、ベッシー 悲歌 オフェーリアの死) |
| プーランク | フルート・ソナタ |
| フランク | ピアノ五重奏曲 |
京都の春ではすっかりお馴染みになった「コンセルヴァトワールの巨匠たち」の演奏会です。
例年は大阪、東京で同一プロで開催されるのですが、今年は京都と横浜だけ、しかも、横浜(8日)では、
プーランクのフルートソナタが、ドビュッシーの「ピアノのために」に差し替えられていて、
例年とは少し趣が異なりますが、今年の「コンセルヴァトワールの巨匠たち」も名演奏ぞろいでした。
演奏会から1週間近く経ったことと、演奏会当日、集中力が落ちていたのとで、簡潔なレポートしか書く事が出来ません。
印象に残っているのは、プーランクのオーボエ・ソナタ(ピアノはブリュデルマッシェール)の特に第1楽章と第3楽章で、ピアノとオーボエが競い合うように演奏する箇所で、ピアノの音の一音一音が粒のように数えられるかのかように感じられた事。
つまりプロコフィエフへの追悼の思いを激しく表現する部分をピアノは音の輪郭をくっきりと際立たせる事によって、
プーランクの想いの激しさを再現しようとしたのかな、と感じました。
ラヴェルのトリオは、少し速めのテンポで演奏する事により、元々からこの曲が持っている緊迫感や焦燥感を際立たせようとしていた、と感じました。
後半、プーランクのフルート・ソナタは、ピアノはガルドン。ブリュデルマッシェールとは対照的に軟らかいタッチでの演奏でした。
ベルノルドのフルートは、第1楽章と第3楽章では音量変化を強調する事でプーランク特有の茶目っ気を、第2楽章を軟らかく吹く事でこれまたプーランクの室内楽に特有の優しい雰囲気を醸し出しているように感じられました。
最後のフランクのピアノ五重奏曲!少なくとも私にとってはあまりに鬼気迫る演奏だったために適切な言葉が見つからないのですが、
演奏会の最後を飾るにふさわしい、熱気に満ち、悪魔的とすらいえる雰囲気を具えた演奏でした。
終楽章の休符を伴う二つのフォルティシモの和音(ここで一人タイミングを外してずっこけてしまい、悪魔的緊張感がぶち壊しになった
ゲネプロを見学した事がある)もぴったりと決まり、ブラボーの声も飛び出て来ていました。
第3回 春の便り-アマチュアピアニストたちによるコンサート(岐阜市・真鍋記念館 クララ・ザール)
曲目
| 作曲家名 | 曲名 | 演奏者名 |
| グラナドス | ゴイェスカスより「愛の言葉」「愛と死」 | 原 基久 |
| ベートーヴェン シマノフスキー ラフマニノフ |
ピアノソナタ第22番 ヘ長調 Op.54 練習曲変ロ短調 Op.4-3 練習曲「音の絵」ニ長調 Op.39-9 | 小木 貴由 |
| ベートーヴェン | ピアノソナタ第21番 ハ長調 Op.53 「ワルトシュタイン」 | 長瀬 朋子 |
| ショパン | ピアノソナタ第3番 ロ短調 Op.58 第1楽章 | 田北 裕子 |
| ブラームス | 3つの間奏曲 Op.117 | 亀田 知里 |
| シューマン=リスト スクリャービン | 献呈 幻想曲 Op.28 | 石原由美子 |
| ラフマニノフ リスト |
前奏曲 ロ短調 Op.32-10 ペトラルカのソネット104番 「二つの伝説」より「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」 | 井澤 克俊 |
2001年、2002年に引き続き3度目となる、音夢(ねむ)さん主催による、
個性豊かなアマチュアピアニストたちによる演奏会であり、それぞれが多忙な学業、業務の合間を縫って練習を積み重ねて本番に挑む、
そのパワーに毎回感服させられる演奏会です。私は第1回以来、すっかりリピーターとなってしまい、必ず演奏会後の打ち上げにも参加しています。
果たして今回はどのような演奏会になるのか?と楽しみにしながら演奏会を聴くため大津の自宅から2時間かけて岐阜までやってきました。
今回の演目では「ワルトシュタイン」と、ブラームスの間奏曲しか知りませんでした(それもうろ覚え^^;)。
以下、演奏会のときに感じたことを簡潔に記していこうと思います。
<原さん>
グラナドスのゴイェスカスから2曲を抜粋されました。1曲目の「愛の言葉」は、プログラムによると「恋する男の求愛の口説き」とのこと。
曲を聴いていると、本当に、スペインの情熱的で陽気な男が惚れた女を口説いている、そんなイメージが「そのまんまに」感じられました。
2曲目の「愛と死」は、プログラムの解説を一部抜粋すると「愛と名誉をかけた決闘に敗れて瀕死のマホと取りすがってなく恋人のマハ、二人の胸のうちを様々な思い出がよぎり、マホの死を告げる弔鐘で曲を終える」とのこと。二人の胸のうちを様々な思い出がよぎる部分では様々な曲想が現れました。情熱的な口説きの言葉、優しい愛の言葉、燃え上がる情熱、そういったあらゆるものが回想され、そしてマホの死を迎える・・・。
このような雰囲気を見事に再現された原さんの演奏は素晴らしいものでした。
<小木さん>
ベートーヴェンの22番のソナタは、次の長瀬さんが演奏される「ワルトシュタイン」(21番のソナタ)の次のソナタであり、作品番号も1つ違い、という作品ですが、プログラムによると22番のソナタは32曲のソナタのうちで最も知名度が低く、作曲法の実験、演奏テクニックの実験を試みたものの失敗に終った作品、とのこと。と言うとつまらない作品のような気がしますが、小木さんの手にかかると、非常にテクニカルであり、込み入った興味深い作品に変身しました。これはもう、小木さんのテクニックと解釈力と独創性の賜物である、そういう表現しか私には出来ません。
シマノフスキーやラフマニノフの作品も、練習曲という名がついていたり、単に技巧的な作品のはずなのに、これまた小木さんの手にかかると、
「退屈な曲を如何に退屈させないか」、「技巧的な曲を、如何に単なる発表会的演奏にせず、飽きさせずに聴かせるか」を熟考され、練習を積み重ねられたことがひしひしと伝わってきました。
<長瀬さん>
長瀬さんのワルトシュタインでプログラムの前半が終了し休憩時間でしたので、前半のトリです。のびのびとおおらかに、そして力強く最後まで演奏しきった長瀬さん。実際にお会いするとやや小柄な女性なのですが、「この小さな体のどこにそんなパワーがあるねん?」というのが正直な感想。
ちなみに休憩中、友人と談笑していると「3楽章にちょっと傷はあったけど、この演奏は良かったよ」と言っていました。
<田北さん>
私・・・、実はショパンは聴かず嫌いでして、ソナタのCD持ってないんです・・・(恥)。なのと、休憩直後で集中力が全開でなかったせいで、
演奏の細かい所を云々する事は出来ませんが、危なげのなく安定した、それでいて聴かせどころはしっかり聴かせている演奏であると私は思いました。
<亀田さん>
ブラームスの後期小品集から3つの間奏曲op117。ブラームスの最晩年の作品であり、諦念と回想に満ちた老作曲家の最後期の音楽、
というイメージが強いこの作品ですが、まだママになって1年経つか経たないくらいの若い女性である亀田さんが、この「諦念と回想」を
若い女性の感性で捉え、それを熟考され、練習された(それも子育ての合間に!)この演奏は、うがった、お節介な見方をすると、
「過去の失恋経験とかを重ね合わせたのかな」などとも感じましたが、アファナシエフのねっとりした演奏をデフォルトで聴いている私の耳にも
すんなりと受け入れる事ができ、とても素敵な演奏でした。
<石原さん>
技巧系の曲、ロシア系の曲をレパートリーに持つ石原さん。シューマンの歌曲集のなかの「献呈」という曲をリストがピアノ用に編曲した曲も、
スクリャービンも、私個人としては好みのタイプの曲ではありませんが、石原さんのテクニックを聴く価値は充分にある、と常々思っていますし、
今回もその期待を裏切らない、安定したテクニックと、楽曲そのものへ注ぐ石原さんの優しい愛情とでも言うべき物が感じられました。
<井澤さん>
演奏会のトリを飾った井澤さん。聴き手としての立場に立ったとき、抽象的な言い方になりますが第1回のときから年々腕を上げている、
そういう印象を持っていますし、今回の演奏もその感をより深めたものでした。
私は、今のところ、技巧系の曲やロシア系の曲との相性があまりよくないのですが、そんなことに関係なく、聴衆の心を捉えて離さず、
しかも演奏テクニックを誇示するのではなくて、あくまでも楽曲の表現手段としての、いわば「基礎体力」的に、しっかりしたテクニックを披露した、
そんな演奏でした。
冒頭で述べた第1回のときから年々腕を上げているというのは、演奏技術の向上と、聴衆の心を捉える、演奏上のテクニックとでも言うべき物が2年前より1年前、1年前より今年と、どんどん進化していっている、そういう事なのかもしれません。
以下、演奏会後の打ち上げ風景。写真に写っているのは今回の演奏者たち(岐阜駅構内のレストランにて)


2003年4月27日(日)18:30(東京・音楽の友ホール)
TOKI弦楽四重奏団 デビューコンサート
曲目
F.シューベルト:弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」
G.ルクー:Meditation(日本初演)
G.ルクー:Molto adagio sempre cantate doloroso(日本初演)
P.チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番
出演
牧田由美(第1ヴァイオリン)
平山真紀子(第2ヴァイオリン)
鈴木康浩(ヴィオラ)
上森祥平(チェロ)
2月中旬、第2ヴァイオリンの平山さんから
「今回、自分の演奏会で日本初となる、ルクーの四重奏を演奏致します。」
という案内のメールを頂き、「音楽の友」に演奏会情報が掲載される前から気になっていましたし、
ルクーの初期の弦楽四重奏作品、Molto adagio sempre cantate doloroso(1877)と、
Meditation(1877)の日本初演というだけでも、「これは聴きに行かなければならない」と思っていました。
当初は14:00開演の演奏会だけだったのですが、そちらの方が完売となり、夜に追加公演を行う事になったとのことで、
相当注目を集めていた演奏会だった、という事がこのこと一つでも充分に分かりました。
このTOKI弦楽四重奏団のメンバーは若い方々で結成された四重奏団です。
舞台に4人の方が本当に楽しそうな笑みを浮かべながら現れた時、客席にいた私も、普段の演奏会では考えられないほどリラックスしました。
いざ演奏が始まると・・・。ロザムンデの冒頭数小節を聴いただけで、すっかりこのカルテットを気に入ってしまいました。
音色が軽やかで明るく、みずみずしい雰囲気をしっかりと感じたのです
(ただ、その軽やかさや明るさが、ロザムンデの第3楽章の暗さ、不気味さを表現するにはややマイナスの方向に働いた感は否めませんでしたが)。
ルクーを演奏する前に、異例な事ですが平山さんが簡潔なスピーチをされました。
ルクーという作曲家がどのような人でどのような生き方をしたかを、平山さんがベルギー留学中に先生からルクーの曲を教えてもらったことを、
平山さんのベルギーの先生が2002年にMolto Adagio...とMeditatinの楽譜を出版したことを。
ほんの数分の短いスピーチではありましたが、このスピーチは、
「今後、ルクーを日本で紹介して行くことをライフワークとする」という決意表明であった、私はそう受け取りました。
また、ルクーという作曲家を紹介する、そういう観点からもとても意義深いスピーチであったと思いました。
そのスピーチの後に演奏されたMeditaionとMolto Adagioは、どちらもルクー17歳の時の若書きの作品であり(もっとも、
ルクーは24歳で亡くなっているので彼のすべての作品が若書きとも言えるのですが)、
その2曲をみずみずしい感性を備えたカルテットによって演奏され、その実演に立ち会う事が出来たのは非常に幸せな事だと思い、
そして、平山さんからこの演奏会の案内のメールを頂いたことに深く感謝しました。
休憩の後に演奏されたチャイコフスキーは、この曲自体の持つみずみずしさと、TOKI弦楽四重奏団のみずみずしい演奏とがぴったりと一致した、
とても好ましい演奏でした。
プログラムの全ての曲を演奏し、鳴り止まない拍手に応えてのアンコールはチャイコフスキーの第2楽章。
「アンダンテ・カンタービレ」と名付けられた、民謡に基づく楽章でした。
何年も前にどこかの演奏会でこの曲を聴いて、その後ボロディン四重奏団のCDを買ったものの殆ど聴かずにいたのですが、
今、そのCDを聴きながらこのレポートを書いています。
そのくらい、TOKI弦楽四重奏団によるチャイコフスキーの1番の演奏は素晴らしい物でした。
TOKI弦楽四重奏団は新潟県に拠点を置いて演奏活動をされるとのことですが、今後は東京でも、 そして出来れば関西でも定期的に演奏会を開催して欲しいと思いましたし、今後の発展が非常に楽しみな四重奏団であると思っています。
2003年5月2日(金)18:30(岐阜県大垣市・スイトピアセンター)
第9回大垣音楽祭「ダイナミック室内楽T」
| J.S.バッハ | 無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番 BWV.1006 「プレリュード」 久保 陽子 服部 譲二 渡辺 玲子 戸田 弥生 古川 愛(新人) 小林 朋子(新人) |
| J.S.バッハ | ブランデンブルグ協奏曲 変ロ長調 BWV.1051 ヴィオラ 店村 眞積 中村 静香 チェロ 毛利 伯郎 上村 昇 堀 了介 コントラバス 西田 直文 チェンバロ 菊池 香緒里 |
| フンメル | 七重奏曲 二短調 op.74 ピアノ 黒岩 悠(新人) フルート 白尾 彰 オーボエ 若尾 圭介 ホルン 松崎 裕 ヴィオラ 坂口 翼(新人) チェロ 堀 了介 コントラバス 西田 直文 |
| ブラームス | 六重奏曲第1番 変ロ長調 op.18 ヴァイオリン 戸田 弥生 服部 譲二 ヴィオラ 店村 眞積 中村 静香 チェロ 毛利 伯郎 上村 昇 |
毎年ゴールデンウィークの時期に岐阜県大垣市で、国内のトップアーチストを集めて開催される大垣音楽祭。 例年は有料コンサートが3回催されるのですが、今年は有料コンサートが2回、 弘中 孝と地元の子どもたちのピアノデュオ・コンサート(無料)と、少し趣が異なります。 今年の大垣音楽祭も例年通り、期待を裏切らない演奏で始まりました。
1曲目は、バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータの第3番プレリュード。
バッハの無伴奏ヴァイオリン曲集は言うまでもなくヴァイオリン音楽の最高傑作ですが、
技巧的にも芸術作品としてもあまりに完璧すぎて、聴き手としては少し近寄り難いものを感じていました。
その曲を6人で演奏する事に対し、「なぜ6人で?」という疑問はプログラムを見たときから2か月ほど、
頭から離れませんでした。
6人の奏者がステージに現れ、おもむろに服部さんと渡辺さんがステージを降り、客席の中央へ移動。
「なるほど、こういうことか!」と膝を打ちました。(位置関係は下図参照)

コンサート・マスター役の久保さんの合図で合奏が始まると、舞台上の4人、客席中央の2人による演奏が立体的にホール全体に響き渡りました。
私自身は海外に行ったことがないのですが、もしヨーロッパの教会で演奏したらこのような響き方をするのではないだろうか、
という豊かな響きでした。奏者のうち2人がホール中央に位置して立体的な位置で演奏した事、
ステージ上とホール中央での演奏にわずかなディレイが生じた事、そういったことから豊かな響きが生まれ、
バッハの音楽に感覚美までも与えた、そういう感想を持ちました。
豊かで華やかな響きの後は、同じくバッハのブランデンブルク協奏曲。実は私はブランデンブルク協奏曲は聴いた事がなかったのですが、
この6番は、ヴァイオリンパートを欠いた弦楽合奏とチェンバロによる、非常にオーソドックスで落ち着いた雰囲気の曲および演奏でした。
続くフンメルは1778年生まれ、1837年没のオーストリアの作曲家で、モーツァルト、ハイドン、サリエリに師事した、
ウィーン古典派の作曲家です。この七重奏曲はやや変則的な編成ですが、ピアノの演奏テクニックはおそらく高度なレベルの物が要求され、
弦楽器、管楽器群にも聴かせどころがあり、響きも豊かで、耳に心地好い音楽でした。
第1楽章など、ほとんどモーツァルトのオペラの序曲を聴いているかのような雰囲気。
はっきり言えばベートーヴェンのような革新的な部分のない音楽で、
フンメルがウィーン古典派の作曲家たちの中でも注目度がやや低いのは否めませんが、
19世紀前半の時代の空気を端的に表している音楽だと感じました。
休憩をはさんで最後はブラームス。
ブラームス初期の作品である弦楽六重奏曲第1番は、その作風の若々しさに焦点を置いた、活き活きとして若々しい雰囲気の演奏でした。
ブラームスが終るや、すぐさま拍手が沸き起こり、いつまでも鳴り止まず、アンコールとして同じ六重奏曲の第3楽章を演奏されました。
アンコールが終っても、まだまだ拍手が鳴り止まず、
とうとう服部さんが「この6人はまた明後日、演奏しますから」と言ってようやく拍手が鳴り止んだ、そういう一夜でした。
後でゆっくりプログラムを読んでみると、バッハ(バロック)、フンメル(古典派)、ブラームス(ロマン派)と、
作曲者は生年順、時代順に配置され、しかもバッハの2曲も作曲年代順に並べられ、3人の作曲家ともドイツ・オーストリアの系列であるという、
非常に綿密に構成されたプログラムである事に気付き、そのプログラム構成にも後で感嘆した次第でした。
2003年5月4日(日)18:30(岐阜県大垣市・スイトピアセンター)
第9回大垣音楽祭「ダイナミック室内楽U」
| シューマン | ピアノ五重奏曲 ピアノ 弘中 孝 ヴァイオリン 渡辺 玲子 久保 陽子 ヴィオラ 店村 眞積 チェロ 上村 昇 |
| P.ピエルネ | 絵画的組曲 1.蜜蜂と花 2.平原の夜 3.小鳥と猫 フルート 白尾 彰 オーボエ 若尾 圭介 クラリネット 山本 正治 ホルン 松崎 裕 ファゴット 前田 信吉 |
| ヴィヴァルディ | ヴァイオリン協奏曲集「四季」 ヴァイオリン 久保 陽子 服部 譲二 渡辺 玲子 戸田 弥生 古川 愛(新人) 小林 朋子(新人) ヴィオラ 店村 眞積 中村 静香 チェロ 毛利 伯郎 堀 了介 コントラバス 西田 直文 チェンバロ 菊池 香緒里 |
大垣音楽祭の有料コンサート第2夜。例年だと有料コンサートが3回あり、
3回目の(つまり最後の)有料コンサートがエンターテイメント色の強いプログラムになるのですが、
今年は第2回目のコンサートがエンターテイメント色の強いプログラムになりました。
シューマンのピアノ五重奏曲は、基本のテンポはややゆったりしていて、肩肘張らない、
それでいて感情の昂ぶりを表す部分は情熱的、熱狂的に演奏されていました。
続くピエルネは、一般にはガブリエル・ピエルネの方が知られているのですが、今回は、ガブリエルのいとこのポールでした。
ポール・ピエルネの木管五重奏曲の3曲はそれぞれ、優しい雰囲気、穏やかな雰囲気、奇矯な雰囲気を表現した、
「愛すべき小品」、といった趣の曲でした。
休憩をはさんでのヴィヴァルディの四季。結論から言えば「たかが『四季』と思うなかれ」というような個性の強い演奏でした。
「春」は渡辺さんのソロ。スパイスにポルタメントなど使ってみて、ちょっとロマン派っぽい、お洒落な雰囲気。
「夏」は戸田さんのソロ。骨太で力強い、大輪のひまわりを連想させる演奏でした。
「秋」は服部さんのソロ。一歩間違うと悪ふざけになってしまう、ギリギリ寸前のユーモア溢れた演奏で、テンポの緩急が非常に激しく、
服部さんのソロと合わせていたチェロの毛利さんも半分笑いながらの演奏。私自身、客席で思わず笑い出しそうになるくらいでした。
最後の「冬」は久保さんのソロ。「冬」の3曲それぞれの厳しさ、暖かさ、寂しさを際立たせたメリハリのある演奏でした。
もちろん、ソロ以外の全員のアンサンブルもしっかりとまとまっていた、素晴らしい演奏でした。
また、「四季」でこれほど個性的な演奏を聞くことが出来るとは夢にも思わず、非常に貴重な体験でした。
その場に居合わせたほかの聴衆の皆さんも同じように思われたのか、全曲が終わって拍手がいつまでも鳴り止みませんでした。
プログラム全曲の演奏が終ったあと、今回の演奏会に出演した新人の中から最優秀新人を選考、表彰するセレモニーがありました。
例年であれば新人コンサート(4月29日)の演奏開始に先立って行われるのですが、今年の新人コンサートでは表彰式がなく、
不思議に思っていました。
私自身、新人コンサートで7人の新人の演奏を聴いて、誰が最優秀賞を取るのか皆目見当もつかないほど、
技術力表現力ともに優れていたと感じたのですが、それはプロの判断でも同じ事だったようで、最優秀新人の選考にさんざんもめた挙句、
どちらも甲乙つけられないので2人を最優秀とする、という異例な事態になりました。今年の最優秀新人は、ピアノの黒岩 悠さんと、
ヴィオラの坂口 翼さん。2人とも2日のフンメルの七重奏曲を演奏していました。確かに、誰かが足を引っ張る事もなく、
しっかりと曲がまとまっていたので、この選考結果は妥当かな、と思いました。
2003年6月1日(日)15:00(大垣市・スイトピアセンター音楽堂)
大垣市室内管弦楽団 第17回演奏会
| ハイドン | 交響曲 第104番 |
| ウェーバー | ファゴット協奏曲 |
| ショスタコーヴィチ | 交響曲 第9番 |
指揮:斎藤一郎
ファゴット:宇治原 明
5月の大垣音楽祭の時に偶然隣り合わせた方が大垣市室内管弦楽団の団員さんで、演奏会の案内を頂き、聴きに出かけました。
大垣市民によって結成されたアマチュア・オーケストラとの事でしたが、指揮者の指示に素早く反応する、
よく訓練されたオーケストラであることは数分聴いていて分かりました。
ハイドン、ウェーバーとも初めて聴いたのですが、1曲目のハイドンは明朗でコンパクトにまとまった演奏、
2曲目のウェーバーは少し厚みを増し、豊かに響かせ、それぞれ曲の特徴を引き出した演奏だと、良い印象を受けました。
最後はショスタコーヴィチでしたが、このオーケストラの底力を見せつけられた思いをしました。
ショスタコーヴィチの9番は15曲ある交響曲の中では比較的コンパクトな編成で、比較的演奏時間の短い曲ですが、なかなか難所の多い曲です。
中間楽章でファゴットの長いソロがあるのですが、
一瞬たりとも音が裏返ったり流れが淀んだりすることもなくファゴット奏者は無事にソロを吹き終え(プロの奏者でも失敗することがある)、
終楽章コーダでの弦楽器群のアレグロ(かなりテンポは速かった)でもアンサンブルが乱れることなく、終演後にはブラボーの声も。
とてもアマチュアのオーケストラと思えない、レベルの高い演奏でした。しかも無料!3000円くらい出しても惜しくない演奏なのに・・・。
開演前にはロビーでフルート奏者4人が、童謡や文部省唱歌(今は文部科学省唱歌?)など、絶対に一度は聴いたことのある曲を奏でてお客さんをお出迎え。1曲終わる毎にロビーで拍手が沸き起こり、非常にアットホームな雰囲気を感じました。また300席程度の小さいホールだったとは言え、 開演前で既に9割程度の入り、休憩時間中には遅れてきたお客さんのために係員の方が空席を探す様子も見られ、休憩時間が終わるとほぼ満席。 かなり固定ファンの多いオーケストラであることが、このこと一つとっても良く分かりました。 大垣市は毎年GWの時期の大垣音楽祭(非常に優れたソリストが集まってくる)、年2回の室内管弦楽団の演奏会、 それ以外にも相当クラシックの演奏会が催されているようで、地方の小都市にしてはクラシック音楽が根づいた街である、という印象を受けました。