Pelleasの音楽遍歴

クラシック音楽を聴き始めたのは高校2年の頃。
それから十数年たった今では、当時は知る由もなかった様々な音楽に接するようになりました。
今までどんな音楽に触れてきたのかを思い出し、綴ってみたいと思います。

(最初は「一目惚れ」した音楽について書こうと思っていたのですが、だんだん内容がずれてきた^^;)

1.最初は・・・

クラシックを聴き始めたきっかけは、今思うととてもいいかげんな理由でした。 アルバイトで貯めたお金でCDプレーヤーを買った高校2年の4月、地元の小さなレコード屋でなんとなくクラシックのCDに手を伸ばした、ただそれだけでした。 そのとき買ったのはドヴォルザークの「新世界」交響曲のCD。今思えば初めて聴く曲としては無難な選択でしたが、当時は全くなんにも知らなかったのです。 ともかく、新世界の第2楽章と第4楽章をとても気に入ったことを覚えています。懐かしく、物悲しい雰囲気の第2楽章と、ひたすら景気のいい(笑)第4楽章。

あと、高校2年のときは、メンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、シベリウスの交響曲2番も聴きました。 当時、ボルボのCMで第4楽章冒頭を使っていて、「シベリウス交響曲第2番」というスーパーをみてCDを買って聴いてみました。 ベートーヴェンやモーツァルトの交響曲を聴くようになったのが高校3年になってからなので、そもそもの最初からロマン派や国民楽派など、 19世紀後半の音楽を聴いていたわけです。

2.マーラーの交響曲 〜 クラシック音楽へのめり込むきっかけ

大学に入ってすぐの頃、何気なく聴いたマーラーの「大地の歌」。大地の歌を聴き、他の交響曲も聴いてみようと思って第9番を聴いたら、 文字通り「一目惚れ」しました。
そのCDは、バーンスタイン指揮/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏でした。 4つの楽章にそれぞれ言葉による説明をつけるとするならば、以下のようになるかと思います(数年前に某所でアップした内容を一部加筆修正して転載します)。
第1楽章 マーラー自身の壮絶な「幼時から死までのドラマ」、残り少ない生への執着、遠からずやって来るであろう死への恐怖。
第2楽章 死への恐怖からの一時の解放。しかしそこで奏でられるレントラー舞曲が死の舞踏のようにも聴こえる。
第3楽章 死への精一杯の抵抗
第4楽章 慰めと慈しみに満ちた音楽
全部で1時間半にも及ぶ大曲でしたが、初めて聴いたとき、一瞬たりとも集中力を途切れさせる事なく聴き通すことができ、全曲聴き終えたときには深い共感を感じていました。 これが、音楽に対する初めての「一目惚れ」でした。
その後もマーラーの他の交響曲をどんどん聴き続けて行ったのは言うまでもありません。 他にもベートーヴェンやブラームス、ブルックナーの交響曲あたりを「つまみ食い」して、大学の1〜2回生を過ごしていました。

3.フランス近代と室内楽への方向転換

大学3回生の前期の頃、ブラームスのヴァイオリン協奏曲にはまっていた事があり、色々なソリストの演奏を集めていた事がありました。 その中でも最も気に入ったのが、往年のフランスのヴァイオリニスト、 ジネット・ヌヴー(1919-1949)の演奏で、 ヌヴーのたっぷりと響かせる美しいヴァイオリンの音色に魅了されてヌヴーの演奏の復刻CDをずいぶん集めたものです。 その中にはR.シュトラウスやドビュッシーのヴァイオリン・ソナタ、ショーソンの詩曲など、室内楽やフランス近代の音楽を集めたCDがありました。 そのCDの中で最も気に入ったのがショーソンの詩曲。詩曲はオーケストラとヴァイオリンソロのための15分程度の曲で、 「トリスタンとイゾルデ」前奏曲を連想させるほの暗い音楽。詩曲がきっかけでショーソンに興味を持ち、 当時入り浸っていた京都の名曲喫茶でアルバイト嬢にショーソンの「ピアノ・ヴァイオリン・弦楽四重奏のための協奏曲」のCDを借りたら、これまた「一目惚れ」。
CDを返したあと、すぐ同じものを買ってしまいました。
独特の繊細で美しい音色と旋律は、それまで聴いていたマーラーやブラームス、ベートーヴェンなどの交響曲とはずいぶん異質なものでしたが、 一度聴いてすうっと耳に入ってきて、しかも陰影に富んだ音楽だったため、そのままショーソンの虜になりました。 そしてこれがフランス近代音楽と室内楽との強烈な出会いとなりました。
ショーソンをはじめ、ルクー、ドビュッシー、プーランク、ラヴェルなどの室内楽を色々と聴いてまわったのが、 3回生後期から修士課程の修了、仕事を始めて1年くらいの頃まででした。
中でもルクーの音楽は、 彼の作品の中でもっとも有名なヴァイオリンソナタをはじめ、ピアノ三重奏曲、未完のピアノ四重奏曲、カンタータ「アンドロメダ」など、 フランス近代特有の美しい旋律と、ルクーが影響を受けたというワーグナーの音楽を髣髴とさせる重厚な響きとが独特な結びつきをしているのが魅力でしょうか。

4.ベートーヴェンへの回帰 〜 後期弦楽四重奏曲との出会い

仕事を始めて何年か経って、学生時代に入り浸っていた名曲喫茶に数年ぶりで出かけたときのこと。 LPレコードから流れてくる音楽をBGMに何かの本を読んでいたら、突然「神々しい」としか言いようのない音楽が耳に飛び込んできました。 店の片隅に置いてある譜面台の上に載せてあったLPジャケットを見ると、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番でした。 その数日後に、アルバン・ベルク四重奏団のCD(2種類ある録音の新しい方、1990年のライブ録音)を買い、全曲を通して聴いてみて分かったのは、 名曲喫茶で耳に飛び込んできた音楽は第3楽章、ということでした。CDの解説によると、ベートーヴェン最晩年に書かれたこの弦楽四重奏曲、 もともとは4楽章構成だったのが、作曲の途中でベートーヴェンが病に臥せり、そこから快復できた事で、神に対する感謝を感じ、 「病から癒えた者が神に捧げる感謝の歌」と題された長大な緩徐楽章を第3楽章として書き加えた、ということでした。より正確には、 「神への感謝の歌」と題されたアダージョの部分(A)と、「新しき力を感じつつ」と題されたアンダンテの部分(B)が交互に、A-B-A-B-Aの形で繰り返され、 それも単純な繰り返しではなく、少しづつ変奏され、変奏されるたびに音楽が長く引き伸ばされていくのです。
「神々しい」あるいは「崇高な」と感じさせる「神への感謝の歌」の部分、何の力みもなく活き活きとした「新しき力を感じつつ」の部分、 共にこの世のものとは思い難い美しい音楽で、CDを聴いて一度で「一目惚れ」しました。これが、音楽を聴いて3度目の一目惚れで、今のところ、 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番が一目惚れした最後の音楽です。
ベートーヴェンの後期四重奏曲の世界へ足を踏み入れ、第13番、第14番、第16番の弦楽四重奏曲も好きになったのですが、どうしても第12番と 「大フーガ」は何度聴いてもピンと来ませんでした(大フーガについては、後でも触れることになりますが)。

5.音楽理論を少し勉強してみて

ホームページを作り始め、音楽に関することも少し書き始めるようになって少し経った頃、「楽譜を少しくらい読めるようになりたい」と、 漠然と考えるようになっていました。そんな折、インターネット上の掲示板で「音楽理論を教えます」という掲示を偶然見つけ、 音楽理論に関しての個人レッスンを半年ほど受けていたことがありました。
和声学の基礎や、楽曲形式に関するレクチャー、実際の曲(主に室内楽)で楽曲構造の解説をして頂いたり、といったレッスン内容でした。 高々半年ほどのレッスンだったので、和声をやっていたからと言って音感がついたとも思えないですが、レッスンをやめて1年近く経った今になって 振り返ってみると、今一番良かったと思えるのは、ソナタ形式、循環形式、フーガの、楽曲形式の基礎を教えていただけた事でしょう。 楽曲形式のことを何一つ知らずに10年もクラシック音楽を聴き続けていた時には気づく事のなかった、 音楽の中の細かな動きを聴き取ろうとする耳がいくらか鍛えられた、ということは大きな収穫でしょう。
特に、ベートーヴェンの「大フーガ」を使ってフーガの解説を受けた経験(題材は私の希望)は、非常に得がたい経験でした。 ほぼ1ヶ月の間、スコアを見ながら通勤電車の中、ウォークマンで大フーガを聴いていると、それまでは単なる「音の塊」にしか聴こえなかった、 弦楽四重奏によるフーガを、「どの声部がどのような旋律を弾いているか」、という観点から聴くことができるようになり、 ひいては他の室内楽曲についてもスコアがなくても、意識的に聴けば複数の旋律の聴き分けをできるようになったという事には、自分自身、とても驚きました。
また、楽典のレッスンをやめた後友人に誘われてピアノサークルに入り、ピアノで、室内楽のあるパートを弾くようになったのですが、 様々な調について和声のバス課題を解いていた経験から、少し難しい調でも、さほど心理的な抵抗もなくスコアに目を通す事ができる、 というメリットもあったようです。ただし、ピアノをはじめとする楽器のレッスンは全く受けたことがないので、 数十小節程度の短い曲のスコアを読むのが精一杯、弾く方も指も回らないので右手で単旋律をゆっくり弾くのが精一杯なのですが。
ともかく、半年ほどとは言え音楽理論のレッスンを受けたことで、音楽の楽しみ方の幅が広がった、ということを実感しています。

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