お気に入りのCD/DVD - 器楽曲

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器楽曲のCD/DVDが11件見つかりました。

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J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲
曽根麻矢子(チェンバロ)
私が子供のときから大好きだったバッハの音楽。
人生で、どんなに辛いことがあってもバッハの音楽があればのりこえられるような気がする。
このCDを聴いてくださったかたが、もしも少しでも幸せな気持ちになれたりしたら、そんなに嬉しいことはない。
(ライナーノーツより)

曽根さん自身がこう語るように、聴いていてからだの力が抜けて、リラックスできる、そんな1枚。 私自身は、チェンバロの音色も、「ゴルトベルク変奏曲」そのものも、あまり好きではないのだけれど、 この「ゴルトベルク」に限っては気に入って聴いています。

曽根さん自身の筆によるライナー・ノーツも、レコーディングのウラ話が満載で、読んでいて楽しいです。

シューベルト ピアノ・ソナタ17番、14番
内田光子(ピアノ)

「心に穴があいて、どこか芯が抜けちゃった。芯がスッと抜けちゃった音楽です。」
グラモフォン・ジャパン1999年12月号(創刊号)でのインタビューで、シューベルトの後期の音楽について 内田自身が語った言葉です。 シューベルトは、当時不治の病とされた梅毒に罹り、それが元で31歳の若さでなくなったのだが、 このCDに納められている2曲のピアノソナタは、共に晩年の作品で、特に14番のソナタは、 「心に穴のあいた」人にしか書き得ない音楽。
心に穴があき、数年後には間違いなく自分が死ぬとわかっていて、それでもなお、音楽を紡ぎつづけずにはいられなかった シューベルト。その心の闇の底知れぬ暗さと深さを、ピアノソナタの中に聴くとき、胸の詰まるような思いを抑えきれなくなる。

フィビヒ ピアノ曲集「気分、印象と思い出」(選集)
伊藤 仁美(p)
チェコの作曲家ズデニェク・フィビヒ(1850-1900)のピアノ曲集「気分、印象と思い出」から30曲を抜粋したCDがナクソスから発売されました。
1892年から1898年にかけて作曲された376曲のピアノ小品からなるこの曲集、 ピアノと作曲の弟子だった18歳年下のアネシュカ・シュルツォヴァーとの恋愛にインスピレーションを受けて書かれたもの。 1曲1曲は短いですが、このCDに収められている曲はいずれも優しくチャーミングな曲ばかり。特に、トラック1に収録された139番は、 オーケストラのための「黄昏」にも引用され、チェコのヴァイオリニスト、ヤン・クーベリック (近年亡くなった指揮者ラファエル・クーベリックの父君にあたります)により編曲され「詩曲」という名でも知られているそうです。
CDに同梱されている日本語解説を読んでいると、恋愛に関連したありとあらゆる想いが1曲1曲に綴られているのだな、という事がわかります。 憧憬、激情、陶酔、嫉妬、不安、幸福感、情熱・・・。

このCDの発売と前後して、全音楽譜出版社から、フィビヒの「気分、印象と思い出」の抜粋版の楽譜が出版されたのですが、その全音版の楽譜の 校訂、解説はこのCDでピアノを演奏している伊藤仁美さんです。

ベートーヴェン バガテル集
スティーヴン・コヴァセヴィチ(piano)
ベートーヴェンはバガテルと名のつくピアノ小品集を3つ作曲しています。 「7つのバガテル」作品33と「11のバガテル」作品119、そして「6つのバガテル」作品126です。
ベートーヴェンのピアノ曲は意識的に聴いたものというと、「ハンマークラヴィーア」および、 30番から32番のソナタと、後期のピアノソナタに限られていたのですが、ピアノサークルのオフ会で、 サークルの仲間が「6つのバガテル」を演奏したのを聴いたことがきっかけで、 6つのバガテルを聴くようになりました(まだ、7つのバガテルと11のバガテルまでは手が回らないのですが)。 ですので、今はまだ6つのバガテルについてしか述べることが出来ません。
6つのバガテルは、126番という作品番号からも分かるように、最後期の作品になります。 作品125が第9交響曲、作品127が後期弦楽四重奏曲群の第1曲である弦楽四重奏曲第12番と、どちらも大曲であるのに対し、 2つの大曲の間の時期に位置するバガテルは6曲あわせても15分程度の短い曲であり、くつろいだ雰囲気さえ感じられます。

第1曲のAndante con motoは、聴いていて心が和むような、ゆったりと優しく歌いかけるような旋律が印象的。
第2曲のAllegroは、第1曲と対照的に急き立てられるようなリズム。
第3曲のAndante cantabile e graziosoは、第1曲に近い雰囲気をもち、アルペジオが美しいです。
第4曲のPrestoは、力強く突き進んでいく雰囲気。
第5曲のQuasi allegrettoは、どこか懐かしい感じのする優しい旋律に聴き惚れてしまいます。
第6曲のPresto - Andante amabile e con motoは、ちょっと趣を異にします。 第1,3,5曲目がゆったりしたテンポで旋律を歌わせ、第2,4曲が速いテンポであったのに対し、 第6曲はPrestoの激しい序奏で始まるものの、後はAndanteでややゆったりしたテンポで旋律を歌わせます。 途中、緊張感をはらんだ部分があるものの、このまま静かに曲を終えるのかな、と思いきや、 最後は序奏と同じくPrestoのコーダで曲を終えます。

ムソルグスキー 展覧会の絵
長谷川陽子(vc) ミカ・ヴァェユリュネン(アコーディオン)
「展覧会の絵」というと、ムソルグスキーの作曲したピアノ組曲ですが、ラベルによる管弦楽編曲版の方が一般には有名かもしれません。 ここで紹介するCDでは、チェロとアコーディオンによるデュオという、あまり一般的ではないと思われるアンサンブルでの演奏です。 アコーディオンのふくらみのある音色と、チェロの音域の幅広さとが互いに助け合い、競い合って、ピアノ独奏とも管弦楽版とも異なる、 独特の切れのよい音楽を楽しむことができます。
アコーディオンが主旋律を受け持つときにはチェロが低音部を受け持ち、チェロが主旋律を受け持つときにはアコーディオンが伴奏を務め、 その役割が小気味よく入れ替わります。 有名な「プロムナード」では、冒頭部分でアコーディオンが力強くソロを演奏するのが非常に印象的。 速いテンポのパッセージなどアコーディオンで演奏できるのか、と思っていたら、これがなかなかスリリングな演奏で、 ヴァェユリュネンのアコーディオンの妙技を見せつけられるかのように思いました。 終曲の「キエフの大きな門」に至っては、チェロとアコーディオンのデュオとは思えない迫力あるサウンド!
「展覧会の絵」の後には、ロシア・ソヴィエトの作曲家の小品が数曲収められていますが、特に印象的なのはハチャトゥリアンの「剣の舞」。 アコーディオンはもっぱら伴奏に徹し、チェロが主旋律を奏でるのですが、息つく間もないほどスリリング。

ルクー チェロソナタ/ピアノのための3つの小品/ピアノ・ソナタ
Luc DEWEZ(cello) Luc DEVOS(piano)
わずか24歳の若さで亡くなったベルギー出身、フランスの作曲家、ギョーム・ルクーの室内楽、及び、ピアノ曲の作品集です。
ルクーのチェロ・ソナタは、1888年、ルクー18歳の頃の作品。その演奏時間は45分近くにも及ぶ大作です。
第1楽章 Adagio malinconicoは全体の半分を占め、20分に及ぶ長大な楽章。チェロが陰鬱な雰囲気の主題を歌い、 それが一時は激情や諦めの雰囲気に姿を変えながらも、その奥底には常に陰鬱な空気が流れている、そんな楽章です。 第2楽章 Allegro molto quasi prestoは、ベートーヴェンのソナタで言えばスケルツォに当たる楽章。 第3楽章 Lento assai e molto di malinconiaは、穏やかで物想いに沈んだ雰囲気の楽章。 第4楽章 Epilogueは、前の3つの楽章を駆け足で回想し、唐突に終わります。

ピアノのための3つの小品は、1892年の作品。室内楽の大規模な曲では陰鬱な表情の曲を書くことの多いルクーですが、 このピアノ小品では、穏やかであったり快活な表情を垣間見せます。

ピアノ・ソナタは、1891年の作品です。 友人からもらった楽譜のコピーを眺めながら聴いていると、この曲が「ソナタ」と名付けられながらソナタ形式に則っておらず、 むしろフランクのピアノ曲を連想させます。
第1楽章は、悲しげな旋律がオクターブで色づけされ、重々しい雰囲気を感じさせる35小説の短い楽章。 第2楽章は、第1楽章で出てきた旋律を主旋律とするフーガ。楽章の前半は声部が順に一つづつ増えていく、フーガの標準的な形態。 中間部分より後では、右手と左手が和音で一つづつの声部を受け持ち、重厚な印象を与えます。 第3楽章は、新しい主題を用いたフーガ。ちらりと後ろを振り返るかのように第2楽章のフーガの主題が右手に表れ、再びフーガに戻ります。 第4楽章は、第2楽章、第3楽章の主題を用いた、自由な形式の楽章。第5楽章は、それまでずっとト短調だったのがト長調に移旋し、 第1楽章から第4楽章で出てきた旋律を回想しながら、優しく、静かに曲を終えます。

坂本龍一ピアノ・ワークス
岡城千歳(ピアノ)
坂本龍一というと、古いファンの方ならYMO、最近だと某ドリンク剤のCM曲、 映画好きな方ならば「戦場のメリークリスマス」や「ラスト・エンペラー」の映画音楽を思い浮かべられる方が多いかと思います。 このCDには、YMO時代の曲、某CM曲をはじめ、坂本龍一の学生時代など、比較的古い時代の(と言っても1970年代)作品も収録されています。 ドイツロマン派的な曲想、フランス近代っぽいもの、ちょっと前衛的な作品など、 テレビなどで流れている坂本龍一の作品しか知らなかった私にとってはちょっとした驚きでした。 (なお、このCDの続編「坂本龍一ピアノ・ワークス2」では、彼の作曲した映画音楽をピアノソロに編曲した版を取り上げています)

1曲目に収められている「Tong Poo」はYMOのファースト・アルバムに収録されていた「東風」を4手連弾に編曲した版。 私はあいにく「Tong Poo」のオリジナル版を聴いた事がないのですが、シンセサイザーとリズムボックスを駆使したテクノポップの雰囲気は連弾版でもしっかり味わえます。
2曲目のBachataは、ボサノヴァっぽい雰囲気もありますが、よくよく聴いてみると、ラヴェルのボレロを思わせる旋律がそこかしこに聴こえてきます。 3曲目のIntermezzoは、ブラームスの間奏曲に似た雰囲気。4曲目のSonatineはサティのような雰囲気、5曲目のChansonは、少し気だるい感じのする曲。聴きようによっては「Energy Flow」につながる雰囲気もあるかな、とも思えます。
6曲目の「ぼく自身のために」はYMO時代の1981年、高橋悠治のリサイタルのために作曲された作品、やはりテクノっぽい雰囲気が聴こえてきます。 7曲目のChoral No1、8曲目のChoral No2は、オペラ作品「ライフ」の副産物との事。妙にサティっぽい響きの作品です。 9曲目のEnergy Flowは、某ドリンク剤のCM用に作られた曲で、坂本龍一の最近の作品の中では最も有名な曲でしょう。 坂本龍一の演奏と比べるとやや速めのテンポであっさりした雰囲気。
10曲目のOpus、11曲目のLorenz and Watsonも、サティのような曲。特にLorenz and Watsonなど、ジムノペディだったか、 サティのとても有名なピアノ曲とかなり似ていて、最初に聴いたときは思わず吹き出してしまいました。
12曲目のピアノ組曲(1970)は、岡城によると「メシアンと三善晃の影響が明瞭」とのこと。 なるほど、そう言われてみればメシアンのピアノ曲(と言っても、私はあまり聴いた事がないのですが)と、リズムや響きが似ているような。
13曲目の「分散、境界、砂」(1976)は、高橋アキのリサイタルのために作られた曲で、このCDの中では最も前衛的な作品と言えるでしょう。 ピアニストは詩を朗読しながら、普通に鍵盤を弾いたり、ピアノ内部のフレームをたたいたり、弦をハープのようにグリッサンドさせたり、 ピツィカートしてみたり。(ピツィカートさせる部分など、楽譜には弦楽器のスコアのようにpizz.とでも書いてるのだろうか?) 最後の2曲、グラスホッパーズとリヴァーは、「アンコールのつもりで演奏した」(岡城)との事。

通して聴いてみると、YMO時代に作曲された作品と「分散、境界、砂」を除くと、坂本龍一の作風はフランス近現代に傾倒している、という印象を受けました。 フランス近代のピアノ曲が好みだという方には、もしかすると聴きやすいCDかもしれません。

Die Kunst der Fuge
Tatiana Nikolayeva(piano)
J.S.バッハのフーガの技法と言えば、「演奏楽器の指定がない」、「バッハ最晩年の作であり、書きかけのフーガが未完のまま終っている」など、 様々な「伝説」がある作品であることは、ご存知の方も多いことでしょう。近年の研究によると、晩年の作品であることには間違いないものの、 最晩年の絶筆の作品ではなく、演奏楽器も鍵盤楽器を想定している、ということらしいです。
今まで、弦楽四重奏版、チェンバロ版、オルガン版、金管五重奏版による「フーガの技法」のCDは聴いた事がありますが、 ピアノ版の演奏を聴いたことがなかったので今回ニコライエワ演奏によるピアノ版を、友人の勧めに従って購入して聴いてみました。

基本的なテンポの設定はややゆったりとしており、その気になれば一音一音を聴きとる事も可能かもしれません。 また、各フーガの演奏順序は、以前に紹介した弦楽四重奏版(ジュリアード弦楽四重奏団による演奏)とも、 私の手元にあるヘンレ版のスコアに記載されている順序とも、途中が異なるものの、 未完のフーガ(Contrapunctus 14)で全曲を締めくくっている点は共通しています。 また、ジュリアード弦楽四重奏団の演奏では未完のフーガの後に"Vor deinen Thron tret'ich hiermit"というコラールが演奏されますが、 ニコライエワの演奏ではコラールはなく、未完のフーガで曲を締めくくるために、 「全曲を仕上げる前に息絶えた」という「伝説」を想起させる物があります。

[Hyperion CDA66631/2 2CDs]

マーラー:交響曲第1番「巨人」(ブルーノ・ワルターによる4手連弾版に基づいたピアノ独奏版)
岡城千歳(ピアノ)
マーラーの交響曲第1番「巨人」と言えば、作曲・初演当時の1880年代後半の交響曲としては編成、演奏時間ともかなり規模の大きな作品です。 マーラーの弟子であり、指揮者、ピアニストであったブルーノ・ワルターがこの「巨人」を、オーケストラ総譜を4手連弾のピアノ譜に編曲していたとの事。 岡城千歳は偶然この楽譜の存在を知ってそのスコアを読み解いてみたところ、
「オーケストラ総譜を忠実にピアノ連弾譜に書き直したものではあるけれど、原曲の雰囲気を損なっているように思われた」
と感じたらしく、ワルターによる連弾譜を元に、オーケストラ総譜を参照しつつ、ピアノ独奏譜を自身で書き上げ、そのオリジナル譜を演奏した、 という非常に独創的な試みを行った演奏を収録したCDです。

CDを聴いた第1印象は・・・。
「これ、本当に一人で演奏しているのか!?」
と言うものでした(未聴ですが、スクリャービンの「法悦の詩」の4手連弾版を一人で多重録音したCDを以前リリースされているらしいです)。 多重録音しているか、腕がもう1本ほど余分についてるんじゃないか、と思うくらいの超絶技巧であり、 これを一人で演奏しているというのは何度聴いても信じ難いほどです。
大編成オーケストラ用の曲をピアノ独奏で演奏しているために、弦楽器や管楽器では可能な奏法をピアノ用に書き換えたり、 ピアノで演奏しやすいように旋律を少し変えたり、という事はスコアを見なくても一度聴いただけで分かりますし、 そのことに関して不満や異論を持たれる方もいるとは思いますが、斬新かつ大胆なこの試みは大いに評価されるべきと思います。
圧巻は第4楽章の冒頭。ここはオーケストラでは全楽器総動員の場所ですが、 このピアノ版は何度聴いても「本当に2本の腕だけで演奏しているのか?!」と、 思わざるを得ないほどの技術と迫力があり、ここだけでも一聴の価値は大いにあります。
なお、重低音がかなり多いので、夜間にボリュームを上げて聴くことはあまりお勧めできません(苦笑)

[Chateau C10001]

デュカス:ピアノ曲全集
ジャン・ユボー(ピアノ)
フランス近代の作曲家、ポール・デュカス(Paul Dukas : 1865 - 1935)のピアノ曲(全4曲)を収めた一枚です。
デュカスはドビュッシーと同世代の作曲家、教育家であり、生涯に70曲以上もの作品を作曲しながらもその大半を破棄してしまい、 現存する作品は十数曲と言われています。
ピアノ曲はこのCDに収められている4曲のみが現存しており、それらの曲をデュカスの生徒であったユボーが演奏している、貴重なCDです。

ピアノ・ソナタは演奏時間40分にも及ぶ大作で、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」にも匹敵する規模の大きな作品です。 フランク派の作品にもつながる、激情や悲哀などのロマン派的な感情表現を適度にコントロールしながら、 緻密に、そして大規模に構築された作品で、私には「フランス人が書いたハンマークラヴィーア」と思えてなりません。

ラモーの主題による変奏曲、間奏曲と終曲は、ラモーのクラブサン曲からとったメヌエットを主題に、11の変奏曲と間奏曲、終曲からなる作品で、 第1から第6変奏はメヌエット主題の旋律が生かされ、第7から第10変奏はリズミカルな変奏、第11変奏と間奏曲はほの暗い雰囲気であり、 一転して華麗な終曲で全曲が終わります。

ハイドンの名による悲歌風前奏曲は、委嘱作品であり、ハイドン(HAYDN)の名前からとったH-A-D(シ・ラ・レ)の音形が随所に現れます。

はるかに聞こえる牧神の嘆きは、ドビュッシーの追悼のために書かれた5分足らずの小品で、 題名からも想像がつくように「牧神の午後への前奏曲」をピアノ独奏用に編曲したかのような雰囲気です。 曲の最後が暗い響きで終わっているところが「牧神の嘆き」たる所以かと思われます。

[ワーナーミュージック・ジャパン WPCS 11676]

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