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マーラーのCD/DVDが7件見つかりました。

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マーラー 交響曲5番
ダニエレ・ガッティ指揮 ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団
この人のマーラーの5番の演奏は、「すごい!」、の一言に尽きてしまう。
何がすごいか?テンポを遅くすべきところは徹底的に遅く、速めるべきところも徹底的に速め、フォルティシモとピアニシモのコントラストも強い、 非常にメリハリの効いた演奏なのです。しかも、テンポの揺らし方、強弱のつけ方、全てが必然的なのです。 この演奏を超えるものは、当分出てこないんじゃないか、と思う。

6月に、大阪、ザ・シンフォニーホールで、このコンビのコンサートがあり、プログラムは、シューベルトの未完成とマーラーの5番でした。
第2楽章、マーラーは楽譜に「嵐のような激しさで」と、書いているそうですが、今回の演奏は、まさに音の嵐! 第2楽章の嵐のごとき激しさ、アダージェットの繊細さ、終楽章は、聴いてて、身体がノッテくる、そういう楽しい演奏でした。
「やはり、音楽は生演奏を聴かな、あかんな」ということを再確認したコンサートでした。

この日のコンサート、演奏が終わって、花束渡す係(?)の女性が、ガッティと、コンサートマスターに いつものように花束を渡すんですが、ガッティが、花束嬢から受け取った花束をもって、舞台の奥の方へ歩いて いって、オーボエ奏者の若い女性に手渡したのが印象的でした。 (オーボエ奏者は少し戸惑ってから、花束下に置いてましたが。)
あういうのを見ると、イタリア人って、ちがうな、と思う。。

マーラー 交響曲第9番
レナード・バーンスタイン指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
このCDには、特別な思い入れがあります。大学に入学してすぐの頃、はじめてのアルバイトでもらった給料で 買ったCDなのです。
今思えば、軽い5月病だったとき、このCDを聴いて、大げさな表現だけど「癒された」と感じたことを覚えています。
バーンスタインの指揮からは、かなり起伏の大きい音楽が紡ぎ出されるのだけれど、そこには恣意的なものはなく、マーラーの 感じていた葛藤を、実感として追体験できます。
とくに、第4楽章は圧巻。これ以上の美しさ、切実さを感じさせる演奏はしばらくは出てこないのでは。。

バーンスタイン指揮のマーラーの9番をライブで聴く事ができるのなら、悪魔に魂を売っても構わない、とさえ思わせる演奏です。

マーラー 嘆きの歌
マイケル・ティルソン=トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団 他
マーラーがウィーン音楽院卒業のときに作曲したカンタータ。20歳のときの作品だが、 すでに交響曲1番、2番のモチーフが断片的にきこえてくる。
カンタータは3幕から成っている。

第1幕。とある国の王女が、「森の中で赤いきれいな花を見つけて、私の所に持ってきた者と結婚する」と お触れを出し、邪な心をもつ兄と、純真な心を持つ弟も、我こそは、と森へ出かけた。先に赤い花を見つけ、 眠り込んでいた弟を兄は剣で切り殺す。
第2幕。森の中をさすらっていた吟遊詩人が何かの骨を見つける。その骨を笛代わりに吹いてみると、 骨は、自分が王女と結婚すべく森の中で赤い花を見つけたものの、兄に斬り殺されてしまったいきさつを語りだす。
第3幕。吟遊詩人は、森の中で拾った骨を持って、王女の結婚が行われる城へ出向く。そこで骨の笛を吹く。 骨は、今ここで王女と結婚しようとしている男に殺されたことを語りだす。宴席の客はすべて逃げ出し、 城はがらがらと崩れ落ちる。

2005年12月4日追記:
20歳のこの作品、およそ20年後の歌曲集「亡き子をしのぶ歌」へと通じるものがあるようにも思われます。

マーラー 交響曲第9番
ブルーノ・ワルター指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
第2次世界大戦前夜、1938年1月のウィーン。ナチス・ドイツがオーストリアを併合し、ユダヤ人であるマーラーの音楽の演奏が禁止される直前。 非常にキナ臭く、危険なこの時期にも関わらず、ワルターとウィーンフィルはこの曲の演奏に踏み切った。(少なくとも見かけ上は)平和で安穏な 状況に生きる私達には想像すらつかないほどの並々ならない決意と覚悟の上での演奏だったのだろう、と思う。 世界一のヴィルトゥオーゾ集団、ウィーン・フィルのアンサンブルが乱れがちで、演奏会場も騒然としているのが録音に残っている。この演奏会の直後、 ワルターはアメリカへ亡命し、翌年には第2次世界大戦が勃発する。
第1楽章は、ただでさえ葛藤と緊張感に満ちた音楽なのだが、ここでは破滅の予感への恐怖をひしひしと感じさせる、ただならぬ鬼気迫る雰囲気に満ちている。 第2楽章の駆り立てられるような速さのレントラーには強迫的な響きすら感じる。 第3楽章のロンド・ブルレスケは一歩間違うと支離滅裂になり兼ねない、尋常ではない速いテンポ。 第4楽章もかなり速く、通常の演奏であれば感じ取ることのできる安らぎとか慰めという感情ではなく、浄化された悲しみ、 あるいは絶望感とでも言うべきものが感じられる。

マーラー 交響曲第8番
ガリー・ベルティーニ指揮 ケルン放送交響楽団他
マーラーの全作品の中で、いろいろな意味において最も巨大な作品ということになれば、この交響曲8番をおいて他にはないと思います。 編成というと、マーラーの交響曲の中でも、おそらく極め付きに様々な楽器が使われていると思います。管楽器、打楽器群はもちろんのこと、 チェレスタ、ピアノ、オルガンを動員し、混声合唱、児童合唱、ソロ歌手8人。 1910年の初演の際には、指揮者(もちろんマーラー自身の指揮)、オーケストラ、合唱団、ソリストあわせて1000人を越したため、 「千人の交響曲」などというあだ名さえつく始末。このあだ名は、編成の巨大さを表す、という意味においては的確なネーミングだったものの、 曲の内容とはかけ離れているせいか、マーラー自身はずいぶんと嫌っていたそうですが・・・。
曲は、というと第1部と第2部に分けられていて、第1部ではラテン語の賛歌「ヴェニ・クレアトール・スピリトゥス(来たれ、創造主なる聖霊よ)」 が歌われ、第2部では、ゲーテの「ファウスト」の第2部最終場、ファウストの魂が天使たちと聖母によって救済される場面を歌っています。 つまり、第1部はラテン語で、第2部はドイツ語で歌われるのです。
第1部の「ヴェニ・クレアトール・スピリトゥス」は、中世イギリスの作曲家、ジョン・ダンスタブルが全く同じ歌詞に曲をつけていて、その曲は 数人の歌手(全て男声)がア・カペラで歌うのです。もっとも、中世の音楽は教会音楽と世俗音楽に別れていて、教会音楽は全て声楽のみでしたが。 ともかく、男声ア・カペラの慎ましやかな曲と比べると、マーラーの音楽は大編成オーケストラ、オルガン伴奏つきで、混声合唱がフォルティシモ で歌い始める、という代物。古楽に慣れ親しんだ耳にはマーラーの音楽は絢爛豪華に聴こえるだろうし、マーラーに慣れ親しんだ耳には ダンスタブルの音楽は非常に素朴でシンプルに聴こえるでしょう。
第2部は、よりマーラーらしい音楽です。大編成のオーケストラを使いながらも、室内アンサンブル的に一部の楽器のみの掛け合いで音楽が流れていき、 掛け合いをするパートが少しづつ移り変わり、曲の最後、「神秘の合唱」でようやく全ての楽器が強奏するのです。
マーラーの8番を聴いていつも思うのです。この曲の最も重要なところは、曲の最後「神秘の合唱」の音楽と歌詞で、それより前の部分(ということは、 曲のほとんど全て!)は、「神秘の合唱」へ至るための長い道筋、あるいは、長大な「前フリ」なのではないか、と。
神秘の合唱の歌詞は
Alles vergängliche
Ist nur ein Gleichnis;
Das Unzulängliche,
Hier wird's Ereignis;
Das Unbeschreibliche
Hier ist's getan
Das Ewig-Weibliche
Zieht uns hinan.
一切の無常のものは
ただ映像に過ぎぬ
及び得なかったものが
ここに行われ
名状しがたいものが
ここに成就した
永遠に女性的なものが
我々を引いて昇らせる
(2005年12月5日 ドイツ語原詩を追記)
というもので、「最後には人間の魂は救済されるのだ」ということをマーラーは言いたかったし、心から信じていたのだろう、と思うのです。

コルンゴルド ピアノ三重奏曲
シェーンベルク 「浄められた夜」(ピアノ三重奏版)
マーラー ピアノ四重奏曲
ウィーン・ベートーヴェン・トリオ
コルンゴルドは、1897年にウィーンに生まれた作曲家で、ここで紹介するピアノ三重奏曲作品1は、何と12歳のときの作品だそうです。 しかし、その作風は既に完成されたものであり、後期ロマン派の系列に並ぶ作曲家の一人としてもう少し名前が知られていてもいいように思います。

シェーンベルクの「浄められた夜」は、元来は弦楽六重奏曲として作曲され、後に作曲者自身により弦楽合奏用に編曲されたのですが、 ここでは、エドゥアルド・ストイアーマンによって、ピアノ・ヴァイオリン・チェロのために編曲された版での演奏です。
オリジナルの弦楽六重奏版とこのCDのピアノ三重奏版とを比べてみると、弦楽六重奏版はきりっと引き締まった冷たい響きがする一方、 ピアノ三重奏版は弦のトレモロがピアノのトレモロに替わるせいか、より温和な印象を受けました。
シェーンベルクがこの曲を書くに当たってインスピレーションを受けた、デーメルの詩に重ね合わせるならば、 弦楽六重奏版では冬の夜の森の厳しい寒さや男と女の間の心理的緊張などを強調し、もう一方のピアノ三重奏版の方は、 男と女の間の心理的緊張よりもお互いの共感しあう想いにスポットを当てている、と感じました。

マーラーといえば、一般には大規模な交響曲と歌曲で知られるのですが、ここで紹介するピアノ四重奏曲は、 マーラーがウィーン音楽院で学んでいた1876年の作品。おそらく、音楽院での室内楽の課題として作曲されたものなのでしょう。 後の交響曲作家としてのマーラーを予感させるものはまだ見られないものの、この四重奏曲の数年後、 音楽院の卒業作品として作曲されるカンタータ「嘆きの歌」を思い起こさせる旋律が少し聴こえて来るような気もします。 少年特有の暗く熱に浮かされたような雰囲気の曲で、現存するスコアは第1楽章全部と、第2楽章の断片的なスケッチのみ。 ちなみに、第2楽章は遺された断片を元に、ロシア出身の作曲家アルフレート・シュニトケがほとんどオリジナルともいえる創作をし、 2楽章構成の曲としてボロディン四重奏団他の演奏で聴くことが出来ます(また、 交響曲第5番の第2楽章は管弦楽用に編曲されたものがそのまま使用されています)。 私の持っているウィーン・ウニヴェルザールの総譜には、この曲の由来と思われる記述がドイツ語で数ページにわたって記されているのですが、 ドイツ語を全く読めない私には、何が書いてあるのかわからず・・・。
少し前、この曲のピアノパートを弾いたことがあるという方のお話を聞く機会があったのですが、
「10度などの音程が頻繁に出てくるし、急に音程が跳躍するし。何ヶ月もかけて練習したけどなかなか手に馴染まなくて。 マーラーは手が大きくて、よっぽどピアノが巧かったのかな」
とおっしゃっていました。

マーラー:交響曲第1番「巨人」(ブルーノ・ワルターによる4手連弾版に基づいたピアノ独奏版)
岡城千歳(ピアノ)
マーラーの交響曲第1番「巨人」と言えば、作曲・初演当時の1880年代後半の交響曲としては編成、演奏時間ともかなり規模の大きな作品です。 マーラーの弟子であり、指揮者、ピアニストであったブルーノ・ワルターがこの「巨人」を、オーケストラ総譜を4手連弾のピアノ譜に編曲していたとの事。 岡城千歳は偶然この楽譜の存在を知ってそのスコアを読み解いてみたところ、
「オーケストラ総譜を忠実にピアノ連弾譜に書き直したものではあるけれど、原曲の雰囲気を損なっているように思われた」
と感じたらしく、ワルターによる連弾譜を元に、オーケストラ総譜を参照しつつ、ピアノ独奏譜を自身で書き上げ、そのオリジナル譜を演奏した、 という非常に独創的な試みを行った演奏を収録したCDです。

CDを聴いた第1印象は・・・。
「これ、本当に一人で演奏しているのか!?」
と言うものでした(未聴ですが、スクリャービンの「法悦の詩」の4手連弾版を一人で多重録音したCDを以前リリースされているらしいです)。 多重録音しているか、腕がもう1本ほど余分についてるんじゃないか、と思うくらいの超絶技巧であり、 これを一人で演奏しているというのは何度聴いても信じ難いほどです。
大編成オーケストラ用の曲をピアノ独奏で演奏しているために、弦楽器や管楽器では可能な奏法をピアノ用に書き換えたり、 ピアノで演奏しやすいように旋律を少し変えたり、という事はスコアを見なくても一度聴いただけで分かりますし、 そのことに関して不満や異論を持たれる方もいるとは思いますが、斬新かつ大胆なこの試みは大いに評価されるべきと思います。
圧巻は第4楽章の冒頭。ここはオーケストラでは全楽器総動員の場所ですが、 このピアノ版は何度聴いても「本当に2本の腕だけで演奏しているのか?!」と、 思わざるを得ないほどの技術と迫力があり、ここだけでも一聴の価値は大いにあります。
なお、重低音がかなり多いので、夜間にボリュームを上げて聴くことはあまりお勧めできません(苦笑)

[Chateau C10001]

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